大久保嘉人、阿部勇樹 2選手の引退に思いをはせる…

Jリーグ
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こんにちは、やんちょです。

2021年のサッカー界も色々ありました。

その中でも衝撃だったのが、

大久保嘉人(セレッソ大阪)、

阿部勇樹(浦和レッズ)、

の2選手の引退。

日本サッカー界を引っ張ってきた2選手の引退。

まだまだできるじゃんっていう気持ちもありましたが、

今はお疲れ様でしたという気持ちの方が強くなってきています。

あまりにも偉大な2選手。

どれだけすごい選手だったかフォーカスしてみたいと思います。

この記事では、大久保、阿部の日本サッカー界での活躍を簡単に振り返ることにより、

僭越ながら彼らの功績を称えられればと思っております。

ぜひ最後まで読んで頂き、

大久保、阿部の引退に思いをはせましょう!!

スペイン、ドイツ、J2でプレーした時期があるにも関わらず、J1最多得点の191得点

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長崎の国見高校出身の大久保は、

高校3冠(インターハイ・国体・選手権の優勝)を達成し、

セレッソ大阪へ入団しました。

セレッソ大阪へ入団を決めた理由は、

体格が似ていた森島寛晃が在籍していたから。

2年目からは背番号10も与えられ、

メキメキと頭角を現すようになってきました。

2005~06年はスペインのマジョルカ、

2009年はドイツのヴォルフスブルク

でも活躍しました。

その後に復帰したヴィッセル神戸では、

チーム事情から2列目での起用や、ベンチが多く、

得点は取っているものの、

ストライカーとしての凄味が感じられなくなっていました。(当時の私見です。)

しかし川崎フロンターレへの移籍が転機となりました。

3年連続得点王。

その後も得点を積み重ね、J1最多の通算191得点。

J2の東京ヴェルディへ移籍した2020年は、

自身初の無得点というシーズンもあったが、

紆余曲折ありながらも191得点は、誰が見ても素晴らしい数字です。

私的には、歴代の日本人FWの中でも3本の指に入るストライカー

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自らもプレー経験があり、

年間100試合以上サッカー観戦をする私ですが、

大久保は、歴代の日本人FWの 中でも3本の指に入るストライカーだと思います。

J1最多の191得点も素晴らしいですが、

動き出し、得点への嗅覚がとても素晴らしい。

以前、今年Jリーグで決めた大久保のゴールについて、

あまりにも動き出しが素晴らしすぎたので記事にしてみました。

これだけ素晴らしい動き出しをするストライカーが引退。

寂しすぎます。

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複数のポジションをこなせる「ポリバレント」

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阿部勇樹はジェフユナイテッド市原ユース出身。

Jリーグデビューは16歳と333日という、

当時の最年少出場記録を打ち立てました。

2003年ジェフの監督に、イビチャ・オシムが就任すると、

阿部を21歳という若さでキャプテンに任命。

阿部の活躍もあり、年間通算成績3位とクラブ最高の成績を記録しました。

その後、浦和レッズへ移籍し、その活躍が認められ、

2010年の南アフリカW杯にも出場しました。

阿部の魅力は何と言っても、

複数のポジションをハイレベルでこなすことができる

「ポリバレント」の能力。

本職はボランチながら、

センターバックや、サイドバック、3バックのセンターやサイドといったように、

守備的なポジション全てをハイレベルでこなしてしまう阿部。

素晴らしい選手でした。

「アンカー」というポジションを確立させた2010年南アフリカW杯

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2010年の南アフリカW杯。

サッカー日本代表のフォーメーションは、4-3-3の中盤の逆三角形型。

逆三角形の頂点(中盤の底)に入ったのが阿部。

当時あまり知られていなかったアンカーというポジションが、

阿部の活躍により、今のサッカー界におけるトレンドになったと思います。

「アンカー」というポジションが浸透したのは、

まさに阿部の活躍によるものです。

今でも鮮明に憶えている、アテネ五輪最終予選日本ラウンドで救世主となった大久保と阿部。

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大久保と阿部の活躍が際立ったのが、

アテネ五輪最終予選の日本ラウンド。

UAEラウンドのメンバーから漏れた大久保と阿部でしたが、

日本ラウンドのメンバーに選出されました。

当時、大久保と阿部を抜きでUAEラウンドを戦った五輪日本代表でしたが、

細菌性の腹痛に多くの選手が掛かってしまい、苦戦を強いられました。

日本ラウンドに入っても体調が戻らない選手がいる中で、

救世主となったのが大久保と阿部。

大久保の勝負強さと、阿部の飛び道具(FK)が五輪日本代表を救ってくれました。

まさに救世主と呼ぶにふさわしい活躍でした。

今も色濃く、私の記憶の中に刻まれています。

まとめ

いかがだったでしょうか?

彼らの引退が悲しくて記事にしてみました。

わかっていると思いますが、

これはほんの一部。

彼ら2人の功績はまだまだこんなもんじゃありません。

阿部は、指導者を目指し第二の人生をスタートさせました。

大久保は家族との時間を大切にしながら、

第二の人生を模索しています。

お2人のこれからの活躍も期待しています。

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